『貧困と脳』を読んで──督促状が開けない理由は意志の弱さではなかった

読書

鈴木大介さんの著書『貧困と脳』は、著者自身が後天性脳機能障害を抱えながら長年にわたって取材してきた、生活困窮者たちの「不合理に見える行動」の謎を解き明かした一冊です。


督促状が開封されない本当の理由

借金の督促状をポストから取り出しもせず放置する。失業保険の手続きをしない。任意売却業者に連絡を返さない。本書に登場する人々の行動は、一見すると「怠惰」や「無責任」に映ります。でも著者の鈴木さんは、それが「意志の問題ではない」と示します。

鍵となるのが、ワーキングメモリという脳の機能です。

ワーキングメモリとは、作業に必要な情報を一時的に保存しながら処理する能力のこと。「脳のメモ帳」と例えられます。料理をするとき炊飯器のスイッチを入れてから野菜を切る、という段取りができるのもこの機能のおかげです。

本書で著者は、自分自身のケースとして次のように書いています。

「部分的にコンビニ払いなどにしている料金について郵送されてきた封書を『後で開けよう』と思ってどこかに置いておくと、そのまま放置してしまうことがある」

これは単なるうっかりではなく、ワーキングメモリの低下によって「支払わなければならない」という課題を日常のタスクの中にキープし続けることが、構造的に難しくなっているのです。

慢性的なストレスと貧困の環境は、このワーキングメモリに直接ダメージを与えます。エバンス氏とシャンバーグ氏の研究(米国)では、貧困の中で育った学生のワーキングメモリは、経済的に豊かな環境で育った学生と比べて有意に低く、その差は幼少期のストレスレベルを統制すると消えたことが示されています。貧困そのものではなく、慢性的なストレスが脳機能を傷つけるという構造です。

ワーキングメモリが低下すると、日常で起こりうる困りごとは次のようなものです。

状況 影響
督促状・封書の処理 「後で」と置いたまま存在を忘れる
失業給付などの手続き 複数ステップの継続的な課題管理が困難
支払いの優先順位づけ 目の前の緊急タスクにのみ対処してしまう
電話対応・折り返し連絡 「かけなければ」という記憶が維持できない

督促状を開けないのは、怠けているからでも逃げているからでもなく、脳のメモ帳が「それを覚え続ける」ことを許してくれないから。本書を読んでそう理解したとき、見える景色が変わりました。


鶏が先か、卵が先か

著者の鈴木さんは脳機能障害を先に抱えた側として書いていますが、本書を読みながら私はずっと逆の問いを考えていました。

貧困が先か、脳機能の低下が先か。

つまり、経済的に追い詰められた状態が、ワーキングメモリを含む認知機能を蝕む可能性があるということです。慢性的なお金の心配は、それだけで認知的な「帯域幅」を大量に消費します。ストレスホルモンは継続的に分泌され、脳に負荷をかけ続ける。

であれば、逆説的に言えば、家計と資産形成を整えることは、脳を守ることでもあるという話になります。貧困に陥らないようにすることが、認知機能を正常に機能させるための予防策になりうる。これは決して他人事の話ではなく、40代を生きる私自身にとってのリアルな課題として、この本を読みながら受け取りました。


「できること」から考える

本書の後半で著者が提案するのは、「できないこと」より「まだできること」を探す視点です。また、本書で紹介されているYouTuberのShibaさんは、生活保護を受けながら自分の生活を発信しつつ、当事者の視点から社会に語りかけています。

Shibaさんの動画はこちら / 著者・鈴木さんの解説動画はこちら

この視点、私はとても好きです。「できないこと」を責めても何も変わらない。むしろ「今できること」に目を向けて積み上げていく。それは脳機能の問題に限らず、仕事にも、日々の習慣にも通じる考え方だと思います。


本書を読んで、自分に置き換えてみた

この本は他人の話ではない、とずっと感じながら読んでいました。たとえば私の場合、今は問題がなかったとしても、何かのきっかけで似た状況に陥らないとは言えない。だからこそ、今のうちに具体的な「仕組み」を作っておくことが大事だと感じました。

支払いの自動化

支払いのほとんどは口座振替で対応しています。唯一の例外は国民年金で、持っている銀行が口座振替に対応していないため納付書払いになりますが、これは1年分の前納にすることで、毎月管理する手間ごと排除しています。「脳のメモ帳に頼らないで済む仕組み」を作ること。それ自体がリスク管理です。

お金をかけずに楽しめることを持っておく

本を読む、映画を観る、散歩する、早起きして静かな朝を味わう。これらは特別なお金がかかりません。経済的に厳しい局面になっても、楽しめるものを持っていることは、精神的な安定に直結します。

「できる仕事」の中で深く考え続ける

著者の言う「できる仕事・できない仕事を把握する」という視点も印象的でした。私自身は、成果よりも深く考えることそのものが好きで、ひとつのテーマを時間をかけて掘り下げていく仕事スタイルが合っています。ブログの執筆も、その延長線上にあります。


貧困と脳の関係は、道徳や意志の話ではなく、構造と環境の話です。そしてその構造は、誰にでも降りかかりうる。だからこそ今、脳が正常に動いているうちに、仕組みをつくる。そういう読後感の残る一冊でした。

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